2007/08/20 (Mon) 探索15日目-日記

[ Alwan's Eye -Night Camp-]


まるで本当の姉妹のようだ、と、彼は考える。
在り得ない幻想だ。彼女にはもう、親兄弟はいないのだから。

だが、三人並んで寝ている姿は、血縁より濃い結びつきさえ感じさせられる。
すやすやと、薄い寝息を立てて。
あるいは、身を寄り添わせて無防備な肌を触れさせて。

悔しいが、人姿を持てる者には、持てざる者は、敵わない。

消えかけた焚き火に、新たな火種を投入する。
薪と炭がぶつかり、赤い粉がぶわりと舞った。

(――今、幸せか、……姐さん？)

この道は正しいのだろうか。
彼は、自分に問いかけずにはいられない。

守りきることの出来なかった過去が、慙愧の念を宿して蘇る。


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[ -Someone's Memory- ]


悪路王は涙する。

「陽媛……夢猫陽媛！」

虚ろに見開いた瞳に何色も宿さぬ、小さな小さな少女へ。

「おのれ、悪辣なる天朝の匪賊共め！
　年端もゆかぬ幼子を弄び、あまつさえ、斯様に無惨な宿業を負わせるか！」

檜造りの櫓は、炎に捲かれていた。
爆ぜる火の粉が乱舞する。
轟々と、熱風が粘つく蜥蜴の舌の如く、次なる獲物を狙い飛びついた。
その勢いに豪奢な白木は黒く朽ちゆき、濁った残骸へと姿を変じていく。


死が、暴れていた。


誰が想像し得たであろうか。
征夷10万の朝廷軍を悠然と退けた、悪路王が鬼謀を覆す"現象"を。

誰が理解し得たであろうか。
掌に納まるほどの少女がもたらした、奥州蝦夷１万の民の"虐殺"を。


「――だが、そなたが悪いわけではない」

無残に抉られた左の眼窩からは、どくどくと血が吹き出ていた。
少女の細腕は赤色に濡れている。それは、彼の翠瞳を抉った凶器。
悪路王は、そっと、すくいあげるように彼女を抱きしめた。

わずかに力を込めれば、いとも容易く潰せてしまいそうな、小さき精霊の体躯。
蕗の葉の下に居る者――コロポックル。
中央の者なら『少名彦』とも呼称する彼等は、アイヌの民にとって良き隣人である。

火を祭り、祖霊を奉り、詩を祀り。
豊穣と繁栄を導いてくれる精霊。

さればこそ。

加護を陵辱し、霊威を冒涜し、血に穢れた身の上なれば。
この先、少女を待ち受ける運命は過酷である。

精霊の力を失い、災厄より身を守る術も在らずして。
ただ朽ち逝くのみの末路を想えば、ここで殺してやるのも正しかろう。


だが、生かさねばならぬ。


悪路王は指先に血糊を撫で付け、人形のように佇む少女の額に文字を描く。
――リム・リア・クルヮェア・アルサム・ニゥェナ
記憶の封印。
幼き少女が背負うには、辛すぎる同族殺しの過去を閉ざす。

発狂させてはならぬ。
自己を呪わせてはならぬ。


彼女は、生きねばならぬ。


「大和の禍つ霊には、アイヌのウエンカムイ(悪神)をもって報復す――」

生きて、悪辣なる朝廷の中枢へ辿りつけ。
我等を滅ぼした狂霊の力をもって、現人神を偽証する大和の王を討て。


どうせ真っ当に生きられぬならば
せめて、役に立て。


壊れるならば、その後にしろ。



――不意に。


バサリと、熱せられた空気を強く叩く音。
振り返る悪路王の死角より、潰れた瞳に追撃を与えるは鋭き鉤爪。
悲鳴をあげて仰け反る王を踏み台に、素早く少女を奪い取る。

茶斑の羽根をはためかせ、ミミズクが叫ぶ。

『痴れ者に堕ちるか、悪路王！』

中央の大軍を寡兵で退けた英雄にして、民草から慕われる賢王。
愛を知り、心を説き、正義の人よと敬われたアイヌの祭主。

それほどの傑物が、守るべき民を失い、正気を失うは仕方なしと見るべきか。

『だけどな！　もうコイツは、誰のオモチャにもさせやしねェぞ！』

翼を炙る炎など痛痒にも解さず、乱雑な気流を強引に掻き分けて。
村の守り神(コタンコルカムイ)の神格を持つミミズクは、闇夜へ目掛け翼を打つ。



延暦二十一年。
悪路王こと、"大墓公"阿弖利為は五百余名の臣下と共に朝廷軍へ投降する。
同年、田村麻呂の嘆願も虚しく、河内国により斬首されることになる。



それでも。
少女の受難は、まだ終わらない。