2008/09/20 (Sat) 探索55日目-日記

-Recollection- ]

　コツ、コツ、コツ――。

　無骨な石積みの階段に打ち響く、金色の靴踵。
　軽く反った爪先、鋲や飾り紐で飾り付けられた賑やかなブーツ。
　手入れの行き届いた革質は曇り気もなく、ランタンの輝きに照らされて美しい色彩を放っていた。

　音はゆっくりと、音律を乱すこともなく狭い回廊で響き渡る。
　螺旋階段。ゆるやかに円弧を描き、廻って、下る。

　永劫に続くかと思われた規則的な足音が、音質を変えて広い床へと踏み入れたのは、しばらくしてのことだ。
　人影は、厚い樫の扉を目前にして立ち止まった。

　白手袋に包まれた指先が伸び、丸い鍵穴へかすかに触れる。

　――ピシッ。

　青白い電光が弾け、浮かび上がった白い魔法陣が霧散した。
　扉が、赤錆の浮く蝶番を軋ませて、ゆるやかな動作で開き始める。

　そこは、正方形に切り取られた四角い空間となっていた。
　石垣に似た野面積みの壁は、無骨なうえに冷たく、部屋というより懲罰牢を思わせる。

　中央に、小さな箱。民族的な唐草模様が彫り込まれた美麗な宝石箱。
　箱の半面は、上質の絹布に覆われていた。
　目立った装飾は無い。だが、目視で判別できるほどに、きめ細い光沢を放っている。

　その両者の間に、息遣いを帯びて上下する振動がひとつ。
　荒れた呼吸。悪夢を見ているのか、眉根をひそめて呻いているのは一人の精霊。

　Elemental Species "Koropokkur" the Case of Experiment

　Ancient Curse -Type "Apophis"の苗床。
　召喚の確定、確定の変質、変質の固定、固定の移植。108の工程を経た、成長する邪神。

　神とは祈るものではない。
　恒星級の神力を縛り、媒体に貶めて制御下に置けば、魔術の道具に利用出来るのだ。
　神ならざる者が、神を道具として扱う。
　同族を欲望のまま殺戮するが罪というならば、超越者を欲望のまま踏みにじるはどれほどの罰を得るものか。

　故に、彼は追われている。

　喚じた古代神から理知を奪い呪法の媒体と化し、誘拐した小精霊の精神に植えつけた。
　反作用も低度を示している。存在するだけで破滅を広げる力は、埋伏状態で安定している。
　いざ発動すれば狂気を撒き、一文明を崩壊に導きかねない呪い。
　如何様な有様を導くのか、見てみたいと思うのは当然というものだ。

　知らぬことを識り、識るべきことを知りたいだけであるのに。
　古来より、魔術と科学の進化は、生命を消費して探求してゆくが当然であるのに。

　暴法術報告義務規定違反、禁呪指定罰則、Ｓ級次元犯罪、集合文明干渉、高次元存在強制略取…
　数をあげれば限りない。どれもが彼を、永劫の牢獄"Cocytus"に封じる最高罰則適用を申し立てよう。
　死よりも辛き永遠の無謬、発狂すら許されぬ封印は、地獄の比喩すら生ぬるい。

　だが、捕まるわけにはいかない。

　彼は、まだ、理解し足りないのだ。
　魔術の可能性。偉大なる深淵へ続く道。さながら、数字に取り憑かれた数学者の狂気の如く。

　さぁ、帰そう。

　邪神に感染した病原体を神尊の領地へ招き入れ、裏側より侵して崩そう。
　終焉の再生。破壊より生まれる新たな境地へたどり着くために。
　英知の追求の前には、未開の民族や土着の神々の犠牲など、微々たることに過ぎないのだから。

　人影は精霊を優しくすくいあげ、ベッド代わりにしていた宝石箱の中へ仕舞い込む。
　貴重な宝石を扱うように、丁寧に、梱包して包み込む。

　ばさりと、大きな縞の羽根が広がった。
　コタンコロカムイと呼ばれしシマフクロウ。脅迫と殺戮で奪い取った、仮初の神の御座。
　大獄丸の異名をもつ偽神は、鋭い鉤爪で箱を掴む。


　……――実験、開始。