2008/06/18 (Wed) 探索43日目-日記(断章)

「ねこみみ？」

　肩に乗せた小精霊の少女に、身の丈の半分もある山刀を担いだ男は大きく頷いた。
　怜悧な風貌に、重苦しい声。冗談が入り込む隙間はない。

「チャペ・キサラと単語を繋げればわかるか？」

　アイヌ語の響きを得て、ようやく得心した小精霊。
　つまり、《猫の耳》という意味だ。

「烏帽子ならぬ、猫帽子といったところか。
　倭人は、かような姿を好んで備えるという。まったく面妖なことよな」

　嘆息をひとつ。首を横に振る。

　朝廷から押し寄せる征夷武者が、常に冠を被っていることは気になっていた。
　アイヌの国域にも冠、すなわち《帽子》という文化はある。
　だが、麦編みの帽子も毛編みの帽子も、頭頂を暑さや寒さから守る手段でしかない。

　先日の激戦、渦中に捉えた侍大将は、やたらと己の冠を取られることを嫌がった。
　なんでも帽子を被らぬことは、恥とされるらしい。
　まったく理解しがたい風習だ。

「朝廷でもっとも偉い者のみが、着用を許される冠らしいぞ」
「ねこみみが？」

　男は頷く。彼はアイヌの周辺諸国連合軍を束ねる総大将、嘘は付くまい。
　朝廷で一番偉い者といえば、あいつらが《帝》とか《今上》とか呼ぶ輩か。
　神の血脈と公言しているらしいが、恐れおおいことだ。

「どうだ、お前。ひとっ走りして、盗ってきてみないか？」

　にやりと、頬を緩ませて。

　もし、敵軍の王が誇りとしている《ねこみみ》を奪うことが出来たなら。
　いかに強固な武装で身を固めた朝廷軍とて、意気を殺がれて撤退もしよう。
　引いては、約定交渉に持ち込み、アイヌの独立を勝ち取れるかもしれない。

　少女は頷いた。わかった、と。


　かくして、悠久の年月が流れる。

　少女は京に赴くこともなく、戦場で正気を失った。
　長きを深い眠りの内で過ごしていた間、故郷は敗北し、アイヌは滅亡する。
　ただ、国は滅びれども、人は生きていた。
　千年を越えても民族の魂が絶えず輝いているのであれば、それで良い。

　されど、あの時の言葉は、今も胸の内を焦がし続けている。

　　――ねこみみを、我が手に。

　今では人の友も出来た。決して、悪いのは人ではないと知っているけれど。
　権力の象徴。貴人の誇り。
　現在も人が恐れ崇める《ねこみみ》とは、果たしてどのような代物であるのか。


　民族と民族がぶつかり合い、しのぎを削りあった戦の日々。
　平安より少し古い時代の、ほんの些細な昔語り。