2008/05/27 (Tue) 探索40日目-日記

[ -Recollection- ]

　種族の違いなど問題ではないよ

　周囲の反対を押し切り神属に迎えた弟を前に、兄は優しく微笑んだ

　アイヌの民もいずれ渡来の民と交わろう
　混血は進み、世界は種族の境界もなく曖昧になろう
　守るべき民が消えるのに、神が舶来の出自であって何が悪いのか

　異郷の羽よと蔑まれし木菟を励ましたのは、純潔種の梟であったのだ

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[ Alwan's Eye -Travel Side- ]

　疲れを感じないわけではない。

　血肉の通らぬ躯は神力で動かすしかなく、信仰されぬ身の上では力は減る一方だ。
　故に、神饌で微量の供給を図り、睡眠で消費を抑制するしか術はない。
　聖蜂の御魂、宝玉の波動、祭主の祈念――三種を幣帛とし、まだ足りぬ。

　最も、永劫に隣を歩むことは許されじと、どちらも気づいてはいるのだ。
　口にすることが、言霊に成ることを恐れているに過ぎない。

（うんざりするな）

　随分と駆けた気がして、顔をあげる。
　古い街並みだ。屋根瓦は色褪せ、漆喰は剥げ、雨どいは錆び。
　ロマネスク、アールデコ、ゴシックと様相の異なる様式が乱雑に立ちならぶ。

　アルワンは一歩一歩、乾いた石畳を探るように進む。
　全身の感覚をアンテナにし、周囲の気配を嗅ぎ分ける。

（間違えた、か。俺様の勘も鈍ったもんだな！）

　溜め息をひとつ。

「そうでもないさ」

　答えが、ひとつ。

　後ろ足で蹴り上げて、跳ねる。
　回転しながら更に壁を蹴り、鋭く方向を揺らして間合いを取った。

　兎の体躯に変じて僥幸と感じたのは、強靭な足腰を手に入れたことだ。
　猫姿の身軽さには敵わないものの、広い耳による空中の姿勢制御は鳥類の翼に似ている。
　元がミミズクなればこそ、彼には都合良い変化だとも言えた。

　薄暗い路地裏。表通りの光を背に、影が伸びる。
　腰に手をあて、おどけてみせるのは一人の、――道化師。

　白い仮面。耳まで裂けた口蓋。瞳を彩る涙模様。
　左右不対称。白と黒のアシメトリー。素地は燕尾服。崩れ、面影しか残らねども。
　黒ずんだ深紅のマント。斑模様。幾重にも染められた重厚な生地。

「気配を消して近づくなって言っただろ、大嶽丸！」

　久方ぶりに聞いた古い名に、仮面の裏の唇が笑いを作る。

「その名は既に捨てた。今の名は『クロックス』だ。覚えておきたまえ？」

　くつくつと喉を鳴らす。いやらしい笑い声にアルワンは鼻白む。

「大嶽丸、刻継法師、道摩法師、鬼童丸、星熊童子、北条蔵詰、森成利……。
　最後に見たのは金髪の蘭学者だったな」
「日本は住み心地がよくてね？　どこを見ても戦ばかりで、楽しかったとも！」
「人でない者が、人の歴史を操ることに快楽を覚えてんじゃねェ！」
「私は神だ。――何か問題が？」

　しれっと返す道化師に、黒兎はぎりっと奥歯を堅く歯噛みした。
　ゆらゆらと、姿勢も悪くおどけてみせる姿は、見るだけで苛立ちを感じさせる。
　だが、憎悪は神格を逆転させる。自分まで、祟り神になるわけにはいかない。

「……もう、神じゃねェ」

　喉の奥から搾り出すように、呟く。
　道化師は嗤う。その通り、と拍手をして嘲笑う。

「神が堕ちれば祟り神、あるいは魔神に転じる。
　天使が堕ちれば堕天使か。魔族に昇格することもあるね？
　では、悪霊が神霊に転じるのはどう名付くのか。
　――改宗、かね？」

　托卵。あるいは寄生。渇望する知識の一端を得る為に自傷する。
　相反する属性に蝕まれ、崩壊する肉体は捨てればよいだけのこと。
　一時の苦痛など、目前の謎の前に何の障害となろうか。

「それにしても、キミタチの執念には畏れ入る。
　私の方は、全くすっかりカケラも残さず忘れていたというのにね！」

　汚れひとつない真白き手袋で顎をしゃくる。
　欲望を刺激するものを、金色の双眸で興味深く捉える。

　神を名乗る悪魔。
　絆を断つ金鋏。
　英知の奴隷。
　快楽殺戮犯。
　国崩しの裏切り者。

　そして、

　生命の系統樹に寄り添わぬ異邦人。
　此の世の者で無き――

「まだ、律儀にアポピスの揺り篭を守っているのかい？　弟よ」